恩師 秋吉正豊 教授

秋吉先生の事を考え、文章にしたいと思いながら長い間出来ませんでした。
教授の事は私の中で多くのスペースを占めていて、何をどのように整理したら良いか分からなかったのです。
考えると多くの感情が沸き起こって涙が止まらなくなり、人に話をしても、途中で話が出来なくなってしまいます。

しかしいつまでも何も書けないのでは申し訳なく、どんなに不十分でも何でも書いて行こうと思い立ちました。
このページを読んでくださっている方にはそのうちにきちんとするかもしれませんが、長ーい目で見て下さい。

2008年、今年はお盆にお墓参りに行けないで、先生にお会いできませんでした。
1日休みがあったのですが、別の用事に使ってしまいました。
先生のお誕生日は3月31日
もし今生きておられたら何歳でしょうか、記念誌には昭和11年に医科歯科(専門の時代)卒となっています。
大正5年、95歳ぐらいでしょうか?

先生に言われた事でここのところ何度か思い出すのは私が失意の中先生の千葉の化学療養所を訪ねた時の事です。歯科医になって直ぐの頃、自分の進路、研究、人間関係全てが難しい状況にありました。
教授にその事を相談した時の事です。
帰りのバス停に向かう道を歩きながらこう言われました。

「最近ドイツからいい論文が出ました。
文章の書き出しが今上空をメッサーシュミットが飛んでいる。
第二次世界大戦の始まりだ。になっている。
一つの論文を作るのに40年かかっている。
いい論文だよ。」

教授の言いたい事は明らかでした。
2年や、3年で結果がどうこう言っても仕方がないよでした。
でもそれを言わないのです。
40年一つの事を続けてようやく論文に出来た人がいる事を私に伝えたのです。
その人は40年もの間どんな思いでいたのでしょうか。



先生の晩年、なんとなくもうそれほど長くは生きていいれないと、私には分かりました。
神を恨みました。

人が100年でも200年でも500年でも生きれるといいな〜。
そんな風に思いました。